2009年7月 8日
たまり醤油の誕生
醤油は麹を用いて製造することが特徴である。500年頃の中国の『斉民要術』には、現代の日本の醤油に似た醤の製造法が記述されており、麹を用いた発酵食品は5 - 6世紀頃には中国などのアジア地域で製造されていたと考えられている。
醤油の直接の起源は金山寺味噌という説があるが定かではない。伝承によれば13世紀頃、南宋鎮江(現中国江蘇省鎮江市)の径山寺で作られていた、刻んだ野菜を味噌につけ込む金山寺味噌の製法を、紀州(和歌山県)の由良興国寺の開祖法燈円明國師(ほうとうえんめいこくし)が日本に伝え、湯浅周辺で金山寺味噌作りが広まった。この味噌の溜(たまり)を調味料としたものが、現代につながるたまり醤油の原型とされる。ただし、この伝承を裏付ける史料は見つかっていない。
なお、「たまり」の文献上の初出は1603年に刊行された『日葡辞書』で、同書には「Tamari. Miso(味噌)から取る、非常においしい液体で、食物の調理に用いられるもの」と記述されている。また、同書で「醤油」の別名とされている「スタテ(簀立)」が、1548年成立の古辞書『運歩色葉集』に「簀立 スタテ 味噌汁立簀取之也」と記されていることも、醤油の成立を考える上でともども注目される。
明治以後、醸造技術及び企業形態の近代化が進む一方で、醤油が生活必需品である事に目をつけた政府が「醤油税」を導入。これは大正期まで続いた。
第二次大戦後、食糧難に伴い主原料の大豆が確保出来ず、日本の醤油製造は危機的状況に陥った。連合国軍最高司令官総司令部が醤油の重要性を理解せず、大豆を酸で加水分解した方が効率良く製造できるとの指導を行ったとも言われる。このため、苦肉の策として大豆の加水分解液を醤油に利用する方法が導入され、戦後しばらくの間はこうした醤油造りが続いた。
しかし、食糧事情の回復とともに本来の醤油造りが復活し、現在ではアミノ分解法等の製法は、ほとんど用いられていない。
現在、減塩食の流行や食事の欧米化に伴い、醤油の国内消費量は減少傾向にある。一方、日本人海外渡航者数の増加や、海外における健康食としての日本食の流行などにより、醤油の輸出量は増加していった。こうした状況を受け、キッコーマンは1957年にアメリカ合衆国に進出、製造工場を建設するなど、醤油は国際的な調味料として愛好されている。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
たまり醤油ってすこし甘くて苦手ですね。
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